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息子の産まれた日

日常のこと

12月9日
鹿児島に住んでいた私は里帰り出産をする予定で
いつものように定期検診。
1月半ばが出産予定日。
私はいつもと変わらないのに
看護師の様子がおかしい。
即、入院。
妊娠中毒症。
なかなか体重が増えない私が
むくみがあり、なにより血圧が180越え
臨月の妊婦には熱性けいれんを起こす可能性があり
大変危険だった。
看護師たちは10分おきに見回り
事の重大さがよくわからないまま、夕方に。
ところが、私はいっこうに落ち着かない状態。
当時、五つ子ちゃんが産まれたばかりで
鹿児島市立病院に転送されることになった。
もう、覚えてないが
なせか救急車でもなく、旦那でもなく、父が
愛車で買ったばかりのパジェロで出動。
全て忘れたけど父の優しさだけはなんとなく覚えてる。
このとき、父は、
私の旦那に間違えられ、ご機嫌(笑)
日付が変わる頃、陣痛促進剤を投与。朝になると母親になれると思ってた。
だって、うえ2人、
かなりなスピード出産だったから。
市立病院は、お産に備え、浣腸をし、絶食という決まり事がある。
当然、点滴もしてるし夕食ぬき。
次の日の朝になっても昼になってもお産は始まらない。
促進剤により、微弱な陣痛だけ。
夕方、三食抜きを体験。
この頃、陣痛は5分間隔。
子宮口が開かなかった。
私の体力は限界。
いきむ、体力もなかった。
左手、自動血圧計
右手、点滴。
そんな状態でのお産。
まるで拷問。
かなりきつくて、気を失いかけ、陣痛の痛さで目覚める感じ。

母体がと医師の声がしたかと思うと
破水をさせ、強引に出産。
コウノドリみたいな感動の言葉も
なにもない。
うぶ声をあげない小さな赤ちゃんの背中をパンパン叩く。

薄れていく意識の中、我が子を目でおう。
かすかな鳴き声とともに、
普通なら産湯の流れなのに、
息子は、ラップでグルグル巻き。
そのまま、チンするのかと思う程

透明の赤ちゃんをいれるベッドにいれられ、未熟児センター
へ。
私は酸素マスクを口に
それからワタシ意識喪失…
「ゴムくさい」が頭の中でリフレイン。 

産まれた赤ちゃんは2040グラム
サルの子かと思うくらい、毛むくじゃら。
娘は、女の子なのにツルツルだったのに、息子は髪だけはフサフサ。赤ちゃんは血管がわかりにくいとのこともあり、おでこの横に点滴チューブ。
なので、おでこをかなり剃られて
物真似される谷村伸司を思わせる状態で、みるのも痛々しくかぼそかった。
父は
私に
「あんなおかしか子、みたくない。俺の孫じゃない」
なんということでしょう。
なんて残酷な言葉なんでしょう。(T_T)
時として身内ほど正直すぎて
思いやりなんてないというのを身にしみる。

その、不細工なサルの子かと
思うような男の子も3ヶ月もしたら、可愛い赤ちゃんになり、
「どこに連れて行ってももぞか」
と、父に言われるようになりました。(笑)

怪我がたえなくて←叔父さん譲り
BONは、来年の怪我する予定まで母に言い、怒られてた。

まあ、色々あったケド
なんとか頑張ってる。

そんな息子に
心から
「お誕生日おめでとう」
それから
私を母親にしてくれた記念日
今日の誕生花はコーレア
別名をクリスマスベルというらしいです。

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コーレア

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この季節に相応しい花ですね。

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